2008年05月24日

同級生

たった一度の出会いであってもまた会ってみたいと畏敬してやまない人がいる。IさんもNさんもそのひとり。7,8年前にふとしたきっかけで出会い、年に何度か杯を交わすようになった。Iさんは僕と同い年の同級生、Nさんは2つ上だけど同級生のような感覚。昨夜も21時から今朝5時まで呑んでいた。学校を卒業して社会人になると同級生を意識することは少なくなる。でも、やっぱり同級生といる時間はいいもんだ。番組ライター中野氏のエッセイがこの気持ちをうまく表現している。


…性別、職業、出身地など様々な違いがあるけれど、年齢の違いというのは数字で示される。その差を計れる。そして多くの方がそうだと思うのですが、少なくとも僕は、そのひとが自分よりいくつ年上か年下か、あるいは同い年かが、気になります。そのひとの年齢を知ると、自分との距離がわりと正確につかめるからです。そして、そのひとが自分と同じ年か近い年齢だとわかると、途端にその距離が近くなる気がします。
 


同級生意識とでもいうのでしょうか。そこにはクラスメートに抱いた親近感と、ちょっとしたライバル心が入り混じっています。

 

同じこの国で生まれ、おそらくだいたい同じようなものを食べ、同じようなニュースをみて、同じような教科書で勉強し、同じような時間に寝起きしていたはずです。「給食の先割れスプーン」とか「ノストラダムスの大予言」とか、自分たちの世代ならではの話題も共有できているでしょう。同級生意識という同じモノサシを持っている。


なのに、です。僕とその人は、いま、ぜんぜん違うところにいます。どこにどんな分かれ道があったのだろう。それを知りたくてたまらなくなる。かつては同じスタートラインにいたはずなのに。

 

同級生のいまを観ることで、いまの自分の位置を知る。

もしも神様がすべての同級生がいまどのように生息・分布しているかを示す地図を持っているならば、自分はそのどのあたりにいるのか。そして、彼と自分はどれくらい離れているのか。その間にはどんな山があって谷があって、その険しい道のりを彼はどうやって乗り越えてきたのか。

 

そのときには、羨望とか嫉妬とか焦燥とかを少なからず感じてしまいます。けれど、その人と自分が同級生として同じ地図に載っていることを誇らしくも思うのです。ホント、こんな同級生には、参ってしまいます。自己嫌悪に陥るくらいです。と同時に、思うのです。「僕もちゃんと頑張らなきゃヤバいんじゃない」。


でも、こういう同級生が僕の生活を豊かにしてくれます。明日への奮起を促してくれます。妄想ではあるけれど、素敵な同級生と同じ時代を生きていることに、感謝です。

posted by 僕の細道 at 20:31| 東京 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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